在宅看取りが家族の絆を深める②
在宅看取りというのは、遺された家族が先に逝く人から「命を受け継ぐ」またとない貴重な経験です。
自宅で最期を見届けることで、人の自然な最期を実感することができ、家族の絆や命の大切さを深く感じる時期となります。そのため、看取りを終えたご家族は、悲しみの中にもどこか誇らしさを感じていらっしゃるように思います。
前回のコラム「在宅看取りが家族の絆を深める①」に続いて、在宅看取りを経験されたご家族のエピソードをもうひとつ紹介します。
自宅で最期を見届けることで、人の自然な最期を実感することができ、家族の絆や命の大切さを深く感じる時期となります。そのため、看取りを終えたご家族は、悲しみの中にもどこか誇らしさを感じていらっしゃるように思います。
前回のコラム「在宅看取りが家族の絆を深める①」に続いて、在宅看取りを経験されたご家族のエピソードをもうひとつ紹介します。
ケース2:80歳女性・Mさん 主たる病名:脳梗塞による重度後遺症
経管栄養などの医療行為をサポート。
葛藤を乗り越え、自宅で見送ることができた
Mさんは、70代に入って脳梗塞を2回起こし、寝たきりになってしまいました。食物の飲み込みも困難なことから、経管栄養、気管切開の状態で、療養型病院に長期入院されていました。入院期間が2年を過ぎた頃、病院主治医からご主人に在宅医療を始めてはどうかと話があり、Mさんの希望もふまえて退院し、自宅にて在宅診療の開始となりました。
Mさんは療養型病院で経管栄養や気管切開をしていたため、自宅の介護では1日3回の経管栄養、気管切開内の痰吸引という医療行為が必要でした。
病院から医療行為の指導を受けていた、ご主人と同居している独身の娘さんも、やはり毎日のことであるため、私が同席した退院前カンファレンスでは、ご家族の負担が多くなることを懸念されていました。そこで私たちはできる限り、介護をするMさんのご家族をサポートするように計画を考えました。
具体的には、高齢のご主人と仕事をしている娘さんの負担軽減のために、自宅へのホームヘルパー訪問、訪問看護師を頻回に導入しました。そして家族が行う医療行為の手技の確認も定期的に行い、ご家族が「これでいいの?」と不安を感じる頻度を減らし、緊張感、負担感を解消することも心がけました。また家族が心身を休める時間を持つため、ショートステイも定期的に利用しました。
Mさんの場合、寝たきりだったため、褥瘡の予防も指導が必要でした。褥瘡のできやすい部位に圧力がかからないよう、クッションなどのグッズを使うことや、定期的な体位交換の方法などを、医師、看護師、ヘルパーで協力して指導しました。
Mさんは療養型病院で経管栄養や気管切開をしていたため、自宅の介護では1日3回の経管栄養、気管切開内の痰吸引という医療行為が必要でした。
病院から医療行為の指導を受けていた、ご主人と同居している独身の娘さんも、やはり毎日のことであるため、私が同席した退院前カンファレンスでは、ご家族の負担が多くなることを懸念されていました。そこで私たちはできる限り、介護をするMさんのご家族をサポートするように計画を考えました。
具体的には、高齢のご主人と仕事をしている娘さんの負担軽減のために、自宅へのホームヘルパー訪問、訪問看護師を頻回に導入しました。そして家族が行う医療行為の手技の確認も定期的に行い、ご家族が「これでいいの?」と不安を感じる頻度を減らし、緊張感、負担感を解消することも心がけました。また家族が心身を休める時間を持つため、ショートステイも定期的に利用しました。
Mさんの場合、寝たきりだったため、褥瘡の予防も指導が必要でした。褥瘡のできやすい部位に圧力がかからないよう、クッションなどのグッズを使うことや、定期的な体位交換の方法などを、医師、看護師、ヘルパーで協力して指導しました。
※画像はイメージです
Mさんのご家族は、当初は在宅介護を始めて生活が変わり、戸惑ったり、疲れを感じたりしている様子も見受けられました。しかし、時間の経過にともない、少しずつ落ち着きを取り戻しました。
ご主人は「在宅で世話をする大変さもあるけれど、自宅に帰ってきたMさんが時折見せる穏やかな表情を見るのが嬉しいし、心温まる瞬間です」と話してくださっていました。
在宅での療養を始めて10カ月ほどした頃、Mさんは臓器の機能が衰え、経管栄養も困難になってきました。そこで、点滴でとりあえず水分を補いながら、ご家族と看取りについて本格的な意思確認をすることにしました。
臓器障害の場合、亡くなるまでの経過はがんと比べると明瞭ではありません。
これまでも頑張ってきたのだし、何か手当をすればもう少し生きられるのではないかとご家族も考えてしまい、迷いが生じがちです。
私たちはMさん宅に通いながら、ご家族の看取りの方針が決まるまで、何度となく話し合いを重ねました。
そして、ようやく「在宅看取りをする」と意思が固まったあとは、私たちは頻回に訪問をし、Mさんの状況を見ながら、ご家族にも看取りの指導を行っていきました。
最終的には早春のある日、ご主人と娘さんをはじめ、集まったご家族に囲まれながら、Mさんは住み慣れたご自宅で穏やかに旅立たれました。
ご主人は「在宅で世話をする大変さもあるけれど、自宅に帰ってきたMさんが時折見せる穏やかな表情を見るのが嬉しいし、心温まる瞬間です」と話してくださっていました。
在宅での療養を始めて10カ月ほどした頃、Mさんは臓器の機能が衰え、経管栄養も困難になってきました。そこで、点滴でとりあえず水分を補いながら、ご家族と看取りについて本格的な意思確認をすることにしました。
臓器障害の場合、亡くなるまでの経過はがんと比べると明瞭ではありません。
これまでも頑張ってきたのだし、何か手当をすればもう少し生きられるのではないかとご家族も考えてしまい、迷いが生じがちです。
私たちはMさん宅に通いながら、ご家族の看取りの方針が決まるまで、何度となく話し合いを重ねました。
そして、ようやく「在宅看取りをする」と意思が固まったあとは、私たちは頻回に訪問をし、Mさんの状況を見ながら、ご家族にも看取りの指導を行っていきました。
最終的には早春のある日、ご主人と娘さんをはじめ、集まったご家族に囲まれながら、Mさんは住み慣れたご自宅で穏やかに旅立たれました。
一番印象に残っていること
このMさんの例で私は、医師や看護師など医療従事者が正しいと思って行うことが、必ずしも患者さんやご家族のためになっているとは限らない、とあらためて感じました。
病院では「治す」ことが正しい場合が多く、医療従事者もそれを全うすべく頑張っています。しかし在宅の現場では、必ずしも病院で行うような医療が正解とは限りません。無理な治療は、むしろ患者さんの負担になってしまうこともありえます。
また、私たち医療従事者は、患者さんの死を何例も経験しています。良い意味でも悪い意味でも、死に対して冷静で、ある程度患者さんの予後を予測できてしまうこともあります。
しかし患者さん本人にとっては、死の意味はまったく違います。それはたった1度、生まれて初めて遭遇する出来事です。またご家族にとっても、人生をともに生きてきた大切な家族との別れは、計り知れない重大な出来事なのです。
病院では「治す」ことが正しい場合が多く、医療従事者もそれを全うすべく頑張っています。しかし在宅の現場では、必ずしも病院で行うような医療が正解とは限りません。無理な治療は、むしろ患者さんの負担になってしまうこともありえます。
また、私たち医療従事者は、患者さんの死を何例も経験しています。良い意味でも悪い意味でも、死に対して冷静で、ある程度患者さんの予後を予測できてしまうこともあります。
しかし患者さん本人にとっては、死の意味はまったく違います。それはたった1度、生まれて初めて遭遇する出来事です。またご家族にとっても、人生をともに生きてきた大切な家族との別れは、計り知れない重大な出来事なのです。
Mさんのご家族の場合もそうでした。
看取りをする、つまり死に向けての準備をすることを、当初はご家族がなかなか受け入れられませんでした。特に母親を見送る立場の娘さんは、看取りについて話す私たちに反発されたこともありますし、孤立感と悲しみに沈んでいる時期もありました。
精神科医キュブラー・ロスは、人間が自分自身や身近な人の死を受け入れるまでには、心の中でさまざまに葛藤する一定のプロセスがあり、そのためには時間が必要だと説いています(「死の受容」5段階モデル)。
その段階で、私たち医療従事者ができることは何かといえば、そのときどきの患者さん、ご家族の揺れる気持ちにきちんと耳を傾け、受け止めてあげることだけです。
しかし、この死を受け入れる葛藤も含め、在宅で過ごした時間こそがご本人やご家族にとってかけがえのない貴重なものであることも、私は肌で感じました。
医師として当たり前のことを行う。病気ではなくて、人を診るという初心を振り返ることができ、その後の私の在宅医療に強く影響を与えたのが、このMさんの診療の経験です。
われわれ医師は最期の最期には、死にあらがうことはできません。
けれども、医師として“人の痛みと優しさがわかる人間性”を忘れず、私は今後も診療に向き合っていきたいと考えています。
看取りをする、つまり死に向けての準備をすることを、当初はご家族がなかなか受け入れられませんでした。特に母親を見送る立場の娘さんは、看取りについて話す私たちに反発されたこともありますし、孤立感と悲しみに沈んでいる時期もありました。
精神科医キュブラー・ロスは、人間が自分自身や身近な人の死を受け入れるまでには、心の中でさまざまに葛藤する一定のプロセスがあり、そのためには時間が必要だと説いています(「死の受容」5段階モデル)。
その段階で、私たち医療従事者ができることは何かといえば、そのときどきの患者さん、ご家族の揺れる気持ちにきちんと耳を傾け、受け止めてあげることだけです。
しかし、この死を受け入れる葛藤も含め、在宅で過ごした時間こそがご本人やご家族にとってかけがえのない貴重なものであることも、私は肌で感じました。
医師として当たり前のことを行う。病気ではなくて、人を診るという初心を振り返ることができ、その後の私の在宅医療に強く影響を与えたのが、このMさんの診療の経験です。
われわれ医師は最期の最期には、死にあらがうことはできません。
けれども、医師として“人の痛みと優しさがわかる人間性”を忘れず、私は今後も診療に向き合っていきたいと考えています。